赤れんがまつり・検事総長と語ろう会③
【但木検事総長と鈴木重子さんのトーク】
[司会]それではここから、鈴木重子さんに加わっていただきまして、改めて話を展開してまいりたいと思います。
鈴木さんは、東大法学部ご出身ということですけれども、今の検事総長のお話を伺って、思ったこと、感想ですとか、おっしゃっていただけますか。
[鈴木]どうもありがとうございました。そして、みなさんもこんにちは。
えー、楽しいお話でしたね。さすがに何か引き込まれて聞いてしまいましたけれども。本当に、お話がお上手ですね。
[但木]いえいえ、あの、この後に出てくる園尾さんなんかに比べたら、素人でありまして。
[鈴木]元々の日本人の性質が、お上との間の信頼関係があったっていう話が、私はとっても面白くて、伺ったら本当に素直だって思ったんですね。下々の者がお上を信頼し、お上は自らを律するっている構造っていうのは、昔からあったっていうことを自分なりに思い出してみた時に、確かにそうだと思ったんですけれども、そういうことをお考えになったっていうのは、どんなところからなんですか。
[但木]えーとですね、私はロシアにどうしても行かなくちゃならない用があって、ロシアに行ったんですけれども、あそこの宮殿というのはですね、凄いといえば凄い、腰が抜けるほどの財産があるんですが、ロシアの農民っていうのが、そんなに豊かであったはずがないですよね。そうすると、あれだけの金銀財宝を得るということは、非常にたくさんの飢えた人々を前提にしなければ成り立たない話なんです。ふと、日本と比べた時に、随分違うなという。いったい日本というのは、何でそんなふうになっているのかなと。はっきりしたのは確かに“武士道”なんですけれども、まさに『国家の品格』という売れている本がありますが、あれは“武士道”と言っておられる。しかし、必ずしも“武士道”からできたんではなくて、もっと多分、昔からあるんでしょうね。つまり、日本人っていうのは一つは貧しい、物を分けて生活してきているっていうのは、あるんだと思いますね。食い物もすごく質素ですよね。たとえば、大名が食っていたものなんていうのは、まったく大したものじゃないですね。庶民が食っていたものと、すごい開きがあるかといえば、そんなではないですね。
[鈴木]私、この間、名古屋城に行きまして、そこにお殿様のお食事っていうのが飾られてあったものですから、見たんですけれども、よく見るとですね、ご飯とお魚みたい、それにおかずが何品か付いたくらいで、今日の「刑務所の食事体験」で食べられるものとそんなに変わらないような、そう言われてみればそうなんですよね。
[但木]ですから、刑務所で食べるご飯も、法務省の役人が食べている弁当も、ほとんど変わりはないんです。
[鈴木]日本はそういう国ですよね。私はたまにニューヨークに歌いにいここともありますけれども、アメリカの貧富の差っていうのは、あの民主の自由と平等の国であってさえも非常に大きくて、大企業の上のほうの人たちっていうのは、ホテルのようなところに住んで王様のような暮らしをしているにもかかわらず、貧しい人たちは本当に貧しくて、今日食べるものもないっていう状態なんですね。それを考えると、日本の人たちは、企業の社長でもそんなに裕福な暮らしをしているわけではないと思うんですけれども。
[但木]去年でしたか、ハリケーンでニューオリンズがやられた時に、みんな健康保険に入ってないのか、っていくことが分かったんです。圧倒的に多くのアメリカ国民は、健康保険なんかに入ってない。だから、医療費が高いですから、医療を受けられないでしょ。日本では考えられないですよね。お金がなくて、誰かが病院に行けなくて、それで死ぬ奴がいるんだと思ったら、みんな心が痛んじゃうですね。そういうことはできない。日本人の心情っていうのは、世界ですごい特殊でもあり、もし鎖国ができたら、日本っていう国は、本当に理想国家になるのかもしれない。でも、まあ鎖国はできないから、そう理想的にはならないんだけれども、でもね、日本人の優しさみたいなものは、ありとあらゆるシステムの中にまだ生きているんです。
[鈴木]たとえば、こういうふうにお話を、たくさんの人の中でしている時に、全体の中での自分の立場っていうのを、必ず考えてから話しますよね。これを言ったらほかの人はどう思うかっていうのを、考えて話している。全体の中の自分っていうのをいつも意識しているというところなんですけど、これがアメリカ行って、私がたまに話し合いに加わりましても、それぞれの方がみんな言いたいことを言えるだけ言うんですよ。で、それが前提として成り立っている雰囲気なものですから、言わない人は損をしてしまうんですよね。それも本当に大きな違いだなと。みんなのことを思って黙っているっていうのは、美徳じゃないんだと、アメリカ人は特にそうなんですけれど、本当にそういうことは納得だなと。
[但木]結構、日本人って、間の中で考えているところがありますよね。会議が始まって、沈黙して、沈黙が数十秒とか一分とか続いていますと、そういう時にみんなが頭の中でコンピューターを働かせているわけです。あの顔付きは、一体これに対して賛成かな、反対かなと、いろんなことを考えているわけですよね。で、考えた末に何か発言する時に、人を徹底的には傷付けないような発言をしようっていうのがすごくあるわけです。ですから、反対意見があることもちゃんと踏まえた上で、その人が反対でも傷付かないような賛成論をつくりたいっていうがあるんです。そういうバカな苦労をたくさんするんです。それはアメリカ人にはまったく理解不能でしょうね。
[鈴木]アメリカからプレゼンテーターの方が見えますとね、「何かご意見ご希望はありますか?」と聞いた後にシーンとなると、「あっ、何もないんだ」って、この人たちは興味がないのが全部賛成なのか、どっちかなんだっていうふに思ってしまわれるんですよね。あの間の中にある隅々までの気配りみないなものは、アメリカにはないんだなって、いつも思いますけれども。
[但木]僕らは「気が付く」とか「気を読む」とか、“気”っていう言葉を使いますよね。この“気”っていうのは、やっぱりあるんですよね。たとえば、この会場にも一定の“気”があるわけです。この“気”をどう読むかっていうね、やっぱりそういう中で発言していかなきゃならない。いま何も見てないようにご覧になるかもしれませんが、私は一人ひとりの顔を見ているんですよね。「お腹がいっぱいで眠いな」っていう方もおられるだろうし、「何か変なことを言っているな」というふうに思っている方もおられるし、「あっ、そうだったんかな」と思っている方もおられるし、いろんなお顔がある。で、そういうお顔の中で、どういうふうな話をしようかなと、やっぱり思いますよね。
[鈴木]その元々あった日本人の気質みたいなものが、外からの刺激で段々変ってきていうというお話でしたね。
[但木]これには二つ意味がある。一つ外国の人がお出になって、日本の国籍を取るケースがどんどん増えてくると思いますね。これは歴史的な経緯で日本の国籍を持っておられる、朝鮮・韓国、あるいは中国、そういう人ではなくて、まったく別の新しい私的要因で、日本に金がある以上は、世界の人が日本に流れてくるのは必然なんだというね、本当のグローバリズムの中での外国人の日本国籍化というのは、もう避けられないでしょうね。だから、いかししてその人たちを私たちは広い心で受け止めていこのかな、っていう問題があると思いますね。それから、もう一つは、私たち自身の中のグローバリズムっていう問題があるんですね。それは世界水準にしないと、段々対応できなくなってきているところがあるんですね。このヤクザな人たちが拳銃を持っていても、昔は使えなかった。なかなか使わなかった。ヤクザも「やるぞ」と言いながらなかなかやらない。人質を取っても、「殺すぞ殺すぞ」と言いながら殺さない。だから、みんなじーっと耐えてやってきたんですね。ところが、段々ヤクザの心情も変わって、街の中でバンバン撃ち合うようになる。それから、人質を取った人たちが、現に発砲するというようなことが段々起きてきて、つまり、日本の本来のあり方っていうのは、やっぱり気持ちが変わってきたので、私たちも今までと同じ対応では処理しきれなくなってきているんですね。
[鈴木]この間の事件も、私は本当にびっくりいたしまして、「何でこれで撃たれちゃうの」って、あまりのことに呆然として、ちょうど同じ時期にアメリカで大学に立てこもった学生が何十人も人を殺した事件がありましたね。それで、両方、眺め比べて、日本もまだ規模は小さいけれど、人ごとじゃなくなってるんだなって思いました。
[但木]それでも違いがあるのは、アメリカで銃を使って射殺した人は、必ず自殺するか射殺されるか。いずれにしても命が絶たれている。これは日本の場合は、やったほうの人は、命を絶たれないで出てきた。その違いっていうのは、やっぱり日本と世界の違いっていうのがあるような気がするんですね。
[鈴木]私は浜松の出身なんですけれども、浜町にはいまブラジル人がものすごくたくさん就業に来ていまして、ただ日本の国籍を取ったっていう人はごく少ないと思いま。結婚したりとかそういうことがなければ、多くないと思いますけれども、昔の実家のある場所の近くにも、ブラジル人がいっぱい住む場所ができて、元々住んでいた日本の住民とブラジルのコミュニティとの間で問題が起こっていて、いろいろな交流の試みが行われているっていう話を聞いたんですけれども。もう一つ、心のグローバリズムっていうのを、すごく私自身の中で感じるのは、特に仕事で外国に出かけて人と接すると、とりあえず言うことは言わなきゃいけないんですね。かといって、私が日本人としての良さ、たとえば、人との調和を保つ、平和を保つ心であるとか、和の精神であるとか、そういうものっていうのは向こうの方はご存知ではないけれども、私にとっては大事なものでみなさんに知っていただきたいことで、それをどうやって対話をすればいいのかっていうのは、特に外国の方と接する時、私の中でいつも起こることで、それは外国で歌う時の歌のテーマでもあるんです。
[但木]日本がつくっていくものが、世界にどうやって発信し、世界が評価していくかっていうのが、これからの時代だと思いますね。たとえば、環境関係では日本はいま図抜けた技術力を持っていますよね。車なんか見たらダンチですよね。アメリカはそんなことを考えないで、ガソリンを垂れ流すような車を作っていたら、さっぱり売れなくなってしまった。ある意味、日本の技術力はすごいですよね。環境というのを真面目に考えるのは、日本人なんじゃないかと思うんですよ。
[鈴木]元々エコな暮らしをしていましたから。
[但木]そうです。自然をすごく愛していましたから。自然が破壊されることについて、私たちがどうしようって思っている。で、私たちの技術が発達しないと、中国がこのままの調子で発達していって、公害をばら撒かれたら冗談じゃない、日本はすごそばでうから、黄砂でもこれだけ来ていますからね。酸性雨でもこれだけ来ている。だから、私たちの技術を中国にどんどん学んでもらって、向こうが切り替えていってくれないと、日本の自然というのは保てないですよね。
だから、日本が発信するものっていうのは、たくさんあると思うんですよね。たとえば、今度の裁判員裁判ですけれども、実はヨーロッパが「それはいいな」と、あるいはオーストラリアも「それはいいな」と。それは裁判官というプロと国民から選ばれた人が共同作業をして、国民から距離感がどんどん遠くなっている、プロである裁判官が国民から直接意見を聞くようになる。で、国民サイドからは今まで遠かった裁判官に対していろんな質問をすることによって、その裁判官を理解し自分の意見を裁判に投影していくということです。これがうまくいけば、アメリカとかイギリスとかの陪審員制度も変わるかもしれない。決してあれがベストだっていうふうには言えないと思う。いろんな気持ちが日本人にはあって、その日本人の気持ちっていうのは、実は世界の中でものすごく大事なことがいっぱいあるんです。それを、私たちは自分たちのものとしてずっと来たんだけれど、それだけじゃなくて世界にそれを持っていかないと、やがて日本もまた自然が破壊され、あるいは人間の心がすさんでいく社会っていうのが、我々自身の問題になってします。そこは日本人は日本人の誇りを失わずに、このグローバリズムっていう大きな流れをどう受け止めて、国際的な中で日本のそれこそ憲法ではありますんけれど、「名誉ある地位」を占めたいということだろうと思うんですね。
[鈴木]なるほど、そうですね。今まで日本人が外国で何か影響を受けて、そこで素晴らしいものを作って、結局それを世界に示して、世界がそれを学んできたっていう、今までの経緯を考えますと、それは十分に意義のあることだと思います。
[但木]私もそうありたいと思っています。
そろそろ、立派な模擬裁判の準備ができたようでありますので…。楽しいお話をどうもありがとうございます。
[鈴木]どうもありがとうございます。
このイベントの取材をもとにした記事、
および緑資源機構の官製談合事件に関する記事は、
7月1日発売の月刊『テーミス』でご覧ください。
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本日のテレビ朝日・サンデープロジェクトで裁判員制度における言論統制の危険性についての特番があったそうですが、都合で見ることができず残念です。証拠の流出防止の観点から、証拠について「目的外使用の禁止...... [続きを読む]
受信: 2007年6月24日 (日) 22:59


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【おとなのコラム】と申します。
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投稿 【おとなのコラム】 | 2007年7月12日 (木) 21:20